「何か、ここに来たくない理由とかあるんですか?」
「いえいえ、そんなことはありません。」
「寿退社することになりまして・・・」
「そうなんですか。もう会えないのであれば、私からおめでとうございますと伝言、よろしいですか?」
「はい、伝えておきます。」
そういうわけか。なんか淋しいなあ。でも、仕方ないことだよな。次の田中さんも話やすい人ならいいなあ。
「初めまして、クリーニングサービスの田中真理子と言います。本日からよろしくお願いします。」
「はい、よろしくお願いします。」
すでに引継ぎを行っているとのことで、私は案内することもなかった。田中さんは恐らく50前後の既婚者のような気がした。あとでわかったことだが、ちゃんと指輪をしてたんで、既婚者だった。
私自身、私とかいう言葉を使っているので、それなりの年配者かと思われた方も多かったと思うが、実はまだ20代。とはいうものの30手前の29歳なのだ。
田中さんも自宅で家事をされているのだろうから、さすがに掃除のスピードは速い。でも、斎藤さんに比べ、ちょっとしたところに見逃し箇所があった。まあ、それは田中さんが帰ったあとで気が付くことだったけど。3時間と言っても、早く終われば、さっさと帰ってしまう。時間までは、契約以外のこともやってもらえたのに。頼んだことが3時間以内で完了すれば、私も文句はないけど、なんとなく面白くはない。やっぱり、人によって変わってしまうんだろう。こういう仕事は、人に依存することが多いんだろうと思った。そうであれば、私も淡々と機械的に対応するだけだ。出来てないところはできてないと言うだけだ。
ある日、買い物にでた時に、斎藤さんを見かけた。なんか、顔が暗い。雰囲気に以前の明るさがない。どうしたんだろう。
「こんにちわ。久しぶりですね。」
「あっ、高木様。」
「もう、様ではなく、さんでいいですよ。」
彼女はいきなり大粒の涙を流した。
「どうしたんですか?」
「・・・」
私はスーパーのイートインスペースの端っこに連れていき、椅子に座らせた。
「大丈夫ですか?」
髪の間から青い肌が見える。よく見ると、手の甲も赤く腫れている。これって、DV?
「もう、お仕事ではなく、お友達として、うちに来ませんか?コーヒー淹れますよ。」
斎藤さんは小さく頷いた。私は彼女を連れて帰った。
「いつもの席に座って、ゆっくりして下さいね。」
「ありがとうございます。」
彼女は小さな声で言った。
それから、しばらく無言だった斎藤さんだったが、ぽつりぽつり話をし出した。
「初めはいい人だったんです。でも、・・・」
「結婚してから、いきなりひどくなったんです。」
「警察にも相談したんですけど、何もしてもらえなくて。」
「こんなことを聞いてもらえる友人もいないので・・・」
「ここならいつでもいらして下さいね。」
「でも、DVとなると、問題ですね。」
「・・・」
「そんなにひどく殴られているなら、警察だって・・・」
「無理です。聞いてくれません。」
「そうなんですか?」
だけど、このままだと、えらいことになるんじゃないかな。彼女はとにかく、私にすべてを吐き出した。ちょっとは楽になったみたいで、笑顔にもなった。
「そろそろ、帰んなくっちゃ。」
「大丈夫?」
「はい、なんとかなると思います。」
そう言って、彼女は帰って行った。
(つづく)
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