2021年01月27日

フリーライフ 第16話

「今日はありがとうございました。」

「気を付けて、お帰り。」

「はぁ~い、気を付けま~す。」

「じゃ、またね。」

「はぁ~い、じゃぁ、またで~す。」

そういいながら、一応、駅まで送っていった。結局、彼女は私のことは何も聞いてこなかった。まあ、それが心地よかったのかも知れない。私は部屋に戻っても気分がよかった。たまにはこんな日があってもいいと思った。でもやっぱりくたびれて熟睡してしまった。


 私は毎朝走っている。3パターンのコースを考えて、その日の気分で、走るコースを変えている。どれも10キロほどだ。その中で、川沿いのコースが一番気に入っている。なんとなく四季を感じられるからだ。10キロは、私の体力でおおよそ1時間ほどで走れる距離だ。まあ、そんなに早い方ではないから、のんびり走るにはちょうどいい距離だと思う。


 都会は、あんまり走っている人がいないと思っていたが、案外多い。老若男女、たくさんいる。場所によっては、ぶつからないように気を遣うところもある。黙って走る人もおれば、すれ違うたびに挨拶される方もいる。まあ、十人十色なんだろう。私はひとりで走る方がいい。誰かと走ると、どうも気を使って、思い通りに走れない。それが嫌だ。自由気ままがいい。帰って、シャワーを浴びてから、コーヒーを飲んでいる時が、ほっとできるひとときだ。


 レッスンの日、先生はかなりびっくりされていた。

「すごく、腕を上げましたね。かなり、練習したんですか?」

「2回ほど、教室で練習させて頂きました。」

「それでも、2時間ですよね。まだ、楽器も買っていませんしね。」

「高木さんがすごいです。私、教えてもらいました。」

「いえいえ、そんなことないです。」

「じゃ、一度、通しで演奏してみましょう。」


 私たちは、課題曲を最初から最後まで演奏してみた。イメージトレーニングしていたので、この課題曲では、特に修正することはなさそうだった。

「最初はこの曲だけで、初級コースの期間が終わってしまうと思っていたので、びっくりです。もう一曲演奏できるようにがんばりましょうか?」

「はい。」

ということで、次の課題曲を練習することになった。次の曲は、指の押さえが結構難しい。音の強弱もそうだが、ビブラートも効かせていくことになった。


 練習の帰りは、木島さんの「聞いて、聞いて」攻撃にあう。無下に断れない私は、それに付き合うことになった。

「聞いて下さいよぉ。」

会社であった話をしまくる。だけど、よくこんなにたくさんあるもんだ。私は完全に聞き役だ。でも、私にこんだけしゃべるということは、周りの女子はもっとしゃべる人たちなんだろう。だから、木島さんは聞き役になってしまっていて、欲求不満がたまっているのだろう。ようやく、ひと段落したみたいで、ちょっと間が空いた。


「ごめんなさい。私ひとりでしゃべってましたね。」

わかってるじゃん。

「大丈夫ですよ。」

「ほんとうにごめんなさい。聞いてもらったお礼に、今日はおごります。」

「いいですよ、割り勘で。」

「え~、いいんですか?」

変わり身が早い。

「はい。」

「ありがとうございます。」

「でも、いつも私の話ばかりなんで、高木さんも愚痴っていいですよ。」

「いえ、特にはないです。」

「え~、そうなんですか。」

「私に言っても大丈夫な話なら、何でも聞きますよ。」

「特にないです。」

「ん~っ、じゃぁ、この近くにお住まいなんですか?」

「そうですね、歩いて10分ほどのところです。」

「え~っ、そんなに近いんですか。いいなぁ。」

「私んちは、この駅から3つめで、そこから歩いて15分。結構、あるんですよ。」

「おうちは広いんですか?」

「まあ、割と。」

「ふ~ん、いいなぁ。」

「私の部屋なんか、1部屋で、4帖しかないんですよ。」

狭すぎだろ。

「これだけ狭いと、真ん中に座って、全部手が届くんです。それがいいところかな。」

どんな状態やねん。

「なるほど。」

「でね、・・・」

また、始まった。どんだけしゃべるんだ。まあ、たまには聞くのもいいか。毎度ながら、あっという間に、2,3時間過ぎてしまう。

「今日はたくさん聞いて頂いて、ありがとうございました。」

そう言うと、彼女は帰っていった。なかなかいないキャラクターだね。


 今日はちょっと寒いけど、いい風が吹く。ちょっと、川辺で一休みしてから帰ろうか。そう思って、川辺の土手に座って、コンビニで買ったアイスコーヒーを開けた。寒いのになんでアイスコーヒーなんだ?まあ、そんなミスチョイスがたまにある。人生ってそんなもんだ。私は、ちょっと酔いを醒まして、自分のマンションへ歩き出した。




(つづく)


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2021年01月28日

フリーライフ 第17話

 私の部屋の前に誰かいる。こんな時間に誰だろう。そう思ったが、近づくにつれて、その人が誰なのか分かった。

「瑠璃。」

「智志さん。」

彼女は私に抱き着いた。

「なんで、いなくなったの?」

「私、すっごく探したんだから。」

こんな場所じゃ、と思い、玄関を開けて中に入れた。

彼女はすぐにキスを迫ろうとした。だが、私は靴を脱がせて、リビングのソファーに座らせた。この分じゃ、私と瑠璃が兄妹ということを知らないのだろう。


「どうして、ここが?」

「調査会社にお願いして調べてもらったの。」

「なんで、私から離れたの?」

「それは、おとうさんに聞かなかったのか?」

「どういうこと?」

私はどうしたものか、とても悩んだ。

「ねえ、なんなの?」

私は覚悟を決めた。

「瑠璃と私は・・・」

でも、言葉が出てこない。

「なに?」

「兄妹なんだ。」

明らかに絶句してる顔だった。もう、愛し合うことさえできない。

「うそ、そんなのうそよ。」

「近藤さんから聞いたんだ。私の父が小宮さん、君のおとうさんだって。」

「だったら、DNA鑑定してもらいましょうよ。」

「絶対に違うわ。」

私もその気持ちはよくわかる。

「わかった。私たちなりに確認してみよう。」


 私はしばらく彼女を部屋に泊めることにした。その間に、DNA鑑定を依頼した。兄妹鑑定というのがあって、2週間ほどで結果がわかるということだった。私たちはその日を待ちわびた。だが、待っている間のふたりでの生活は、プラトニックな関係を続けた。でもふたりでいることで心が落ち着き、生活自体は楽しかった。


 鑑定結果が届いた。

「ちょっと、待って。落ち着かせるから。」

「わかった。」

ふたりで結果を開けた。そこには・・・


 私たちは9.999%、兄妹だった。私は瑠璃を抱きしめて、泣いた。瑠璃も泣いていた。もうよくわからなかった。少なくとも、瑠璃とは夫婦になれない。でも、これからは兄妹だ。仲の良い兄妹になれる、そんな自信はあった。これから先、結婚もせず、ふたりで暮らしていくことだって、問題ないだろう、仲の良い兄妹として。


 だが、なぜ、父は私を養子に出したのか?あれほど裕福になってから、私を引き取らなかったのか?この兄妹のことを秘密にしていたのか?私たちは話し合った。そして、親元に戻ってすべてを確認しようという結論となった。


 瑠璃は母に電話した。

「どこにいるの、心配したじゃない。」

「お兄さんとこ。」

「えっ?」

「今から、お兄さんと一緒に帰るから。」

「あなた、何いってるの?」

瑠璃はそれだけ言ってスマホを切った。私たちは、実家に向かった。


「ただいま。」

「お帰りなさい。」

「お邪魔します、あ、私の家でもあるんだっけ。」

「おかあさん、ただいま。」

「高木さん。」

「それは他人行儀ですよ、おかあさん。」

「そうよ、お兄さんだもんね。」

「・・・」

母は顔を曇らせた。奥から父が出てきた。

「瑠璃、お帰り。」

「ただいま。」


 私たち4人は、ソファに座った。

「おとうさん、そろそろ本当のことをお話して頂けますか?」

「お兄さんの言う通りよ。もう子供じゃないんだし。」

「・・・」

父も暗い顔をしている。そして、長い時間が流れた。

「わかった。すべてを話しよう。」

「智志くんと瑠璃は、私の子供じゃない。」

何を言ってるんだ?

「えっ?どういうこと?」

「私の兄の子供たちだ。」



(つづく)


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2021年01月29日

フリーライフ 第18話

 父の長い話はこうだった。父の兄夫婦は、とても愛情深い人たちだったらしい。だが、当時はとても貧乏だったので、食うのもやっとだったらしい。でも、父もそんなこととは知らずに兄夫婦と付き合っていたとのこと。そんな兄夫婦に待望の子供が生まれた。それが私だ。とても喜んで、育てていたらしい。何年かして、久しぶりに兄夫婦に会いに行くと、私がいなかったのだ。どうして?と聞くと、突然、高熱を出して、あっけなく死んでしまったということだった。なんで、私に連絡してくれなかったのだと、父は怒ったのだが、もうどうしようもなかった。だが、私は兄の友人の高木さんへ養子に出されていたのだった。しばらくして瑠璃が生まれた。その時に兄夫婦の真実をはじめて聞いたらしい。兄は心臓に異常が見つかり、まともに働くこともできなくなっていた。その分、奥さんが働いていたが、その奥さんもガンが見つかり、二人とも先が見えていた。なんで、そんな状況なのに、子供なんてと聞くと、自分たちが生きた証がほしかったというのだ。父は瑠璃を引き取った。その後、兄夫婦はお互いを追うように亡くなったとのこと。父は事業に成功して、高木さんを探したが、その居場所はわからなかったとのこと。


 瑠璃が大きくなって連れてきた彼氏が、まさか、瑠璃のお兄さんだったとわかったときはかなり驚いたとのこと。ふたりが愛し合っていることはすぐわかったので、兄妹だとわかったときの落胆はあまりにかわいそうだったので、それを隠したとのことだった。


「確かにDNAで兄妹とわかったときは、ふたりでしばらく泣きました。」

「でも、もう大丈夫ですよ。私たちは仲の良い兄妹になれるって、お互い約束したんです。」

「あなたたち・・・」

「智志くん、瑠璃、すまなかった。」

そんなこんなで、私たちは和解することができた。私もこの家の息子として迎えてもらえることになった。


「ところで智志くんは、どんな仕事をしているんだ?」

「投資家ですよ。」

「大丈夫なのか?」

「安心して下さい。投資金額が全部なくなっても3年は食っていけますので。」

「しっかりしてるんだな。」

「自分の人生ですからね。」

「もしよかったら、私の会社に入って、私の後を継いでくれないか?」

「それは、瑠璃に頼んだらどうですか?」

「瑠璃か。考えておこう。」


 私は、住まいをそのまま東京におくことにした。年に何回は帰ってくることも約束した。瑠璃は気が向いたら、ちょくちょく私のところへ遊びにきた。しばらくして、瑠璃は父の会社に入社した。私のところへも相談にきたので、やってみればって話をしたのだ。


 今の私の楽しみは、サックス演奏だ。教室で2曲目、3曲目の練習が楽しい。先生の指導で、念願のサックスを購入した。少々大きめのテナーサックスだ。この音がすごく好きで、一日何時間か練習している。


「高木さんは、サックス演奏を職業にしてみないか?」

先生にそう言われた時はビックリした。

「いえいえ、まだまだ素人ですよ。」

「そんなことはないよ。もっとレパートリーを増やしたら、コンサートだってできると思うよ。」

私のサックスは、哀愁を帯びていて、聞く人を魅了するらしい。

「J-POPとか、幅広い曲を演奏できるようになれば、プロの演奏家も可能だよ。」

「でも、まだ初級コースの生徒ですよ。」

「楽団にいる私の耳は確かだと思うけどね。」

そうなのかな。私は先生にいくつかの楽譜の本を紹介してもらって、はじから練習していくことにした。なんとなくで、はじめたサックスがもしかしたら、趣味じゃなくなるかも知れない。それも面白いと思った。


 レッスン以外に週2回ほど、教室を借りて練習することにした。木島さんも来る。彼女もそれなりに演奏できるようになってきて、楽しいらしい。相変わらず、練習後の飲み会は彼女の独壇場だ。私はいつもの聞き役で、木島さんの愚痴(ネタ)を楽しんでいる。

「ねぇ、聞いて下さいよぉ~。」

「職場の先輩がね、・・・」



(つづく)



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2021年01月30日

フリーライフ 第19話

 そのうち、週2回の練習にギャラリーが出来てきた。何それ?私はびっくりした。だって、聞いてほしくて演奏しているわけじゃないし、ここでしか練習できないからやっているわけで、なんでギャラリーがいんの?


「あの、素敵な演奏をいつも聞きほれています。ストリートで演奏はしないんですか?」

はっ?そんなん、恥ずかしいだろ。

「いえ、私はここの生徒ですから。」

「でも、みんなが何回でも聞きたいと思う音を奏でられるあなたは、たくさんのファンができると思いますよ。」

「そんなことないですよ。」

冗談だろ。


 でも、私の練習する日は、見学者がだんだん増えていった。まだ、人に聞いてもらえるほどの腕前じゃないからって言っても、だんだん増えてくる。

「じゃぁ、一緒にやる?」

木島さんまで、何言ってるんだ?

「無理でしょ。」

「やろうよ。手始めに近くの駅とか、どう?」

「本当にやるん?」

「うん。」

そのやり取りを聞いていたギャラリーから歓声が上がって、拍手が起こった。マジか?その場で、次の日曜、10時からやるということになった。


「瑠璃、聞いてくれよ。えらいことになった。」

「どうしたの?」

「近所の駅前で、ストリート演奏をすることになった。」

「え~、すごいじゃない。絶対、聞きにいく!」

「来んといてよ。」

「絶対行くわ。私もバイオリンで参戦してもいい?」

「やるん?」

「うん。」


 そんなことで、私は今、駅前にいる。だけど、なんでこんなに人がいる?なんで、こっちを見てる?

「すっごい、人じゃん。」

木島さんは全然緊張してないみたい。彼女はアルトで私はテナーだから、ふたりの演奏でもいい感じになる。

「今日は妹がバイオリンで参戦することになってるんだ。」

「えっ、ほんと?すごいじゃん。いつくるの?」

「ちょっと、遅れているみたい。」

「じゃ、先にやりますか?」

「オーケー!」


 私たちはいつも練習している、最近はやりのJ-POPを演奏することにした。木島さんも慣れたもので、うまくバックに回ってくれる。逆に2曲目は、私がバックに回った。そうこうしているうちに、瑠璃もやってきた。

「妹さん?木島です。お兄さんにはいつもお世話になってます。」

「瑠璃です。よろしくね。」

ここからは瑠璃も入ってくれた。私のテナーを聞きながら、バイオリンでうまくアドリブで入ってくれた。うまいもんだ。やはり、弦楽器の音はいい。三人で、本当に適当にアドリブ三昧で、数曲演奏した。こんなにうまくできると思ってなかった。なんか本当に楽しいもんだ。気が付いたら、1時間くらい経っていた。それじゃあ、ということで、最後の曲を演奏し、終わりにした。なんか、ものすごい数の見学者取り囲んでいた。でも、すっごい充実感だった。


 私たちは食事をしに行った。

「瑠璃さん、バイオリン素敵だった。高木さんちって、音楽一家なんじゃない?」

「私ははじめたばかりだよ。」

「でもすっごい上達ぶりですよ。」

「木島さんの度胸もすごいね。」

「ねね、瑠璃さんはいつからバイオリンやってるの?」

「小学校のときからだから・・・でも、最近はあんまりやってなくて・・・」

「それで、あそこまでできるなんてステキ!アドリブなんか、もう最高!」

「木島さんもアドリブしまくってたじゃん。」

「わかりました?あは。」

「でも、すっごい人だったね。」

「ほんと、びっくりしたね。」

「兄さんのテナー、すっごくいい音。」

「そうかな?」

「ほらほら、先生も言ってたでしょ?プロになれるって。」

「えっ、兄さん、プロになるの?」

「ちゃうちゃう、そんなことないから。」

さすがに今日は木島さんのネタはなかった。そんな日は初めてだ。でも、人前でする演奏の快感はいつまでも心に残っていた。



(つづく)


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2021年01月31日

フリーライフ 第20話

 家に帰ると、楽器を置いてふたりでコーヒーを淹れた。

「兄さんがあんなに演奏できるなんて思わなかったわ。」

「だろ?だけど、まだ、初級コースの生徒だぜ。」

「でも、なんだろ?とても素敵な音色だったわ。」

「そうかな?」

「先生も言ってたんでしょ?」

「まあ、そうだけど。」

「でも、すごかったね、人・・・」

「ああ、あんなに足を止めるなんて、思わなかったね。」

「毎週やれば?」

「プロを目指すわけじゃないから・・・」

「いいと思うけどな。」


「瑠璃は、会社、慣れた?」

「うん、だいぶね。」

「でも、まだ内緒なの。」

「それがいいよ。いずれ、わかることだけどね。」

「会社の人が、普通に付き合ってくれてる間がいいのかもね。」

「だね。」

「できるかな、私に。」

「社員もその家族も、みんな家族だと思えばいいんだよ。」

「兄さん、私が悩んだら、手伝ってくれる?」

「当たり前じゃないか、大切な妹なんだから。」

「ありがとう。」

私は瑠璃を抱きしめた。


 おそらく、私も瑠璃も生涯の伴侶と出会わないと、この気持ちを断ち切れない。頭では兄妹だとわかっていても、兄妹でいようと約束しても、お互いひとりでは、そんな気持ちがいつでも崩れてしまいそうだ。でも、瑠璃も同じように想っていたらしく、私より先に彼氏をつくった。なんでも取引先の方だそうだ。これで、思いを本当に断ち切れる。これでよかったんだ。


 相変わらず、私の練習にはたくさんのギャラリーが詰め寄せてくる。木島さんがいない日でもだ。その時には、私の演奏できる曲は10曲を超えていた。

「あの、サイン下さい。」

「ごめんなさい。サインはまだできないです。」

「じゃ、できるようになったら、一番にもらいにきます。」

「私、ファンクラブに入りたいです。どうしたら、いいですか?」

そんなのないし。

「いえいえ、私はこの教室の初級コースの生徒ですよ。そんなクラブなんかないですよ。」

「早く作って下さい。」


 初級コース最後の日、先生はこう言った。

「初級コースで、ここまで上達した人はいないですよ。ふたりとも、すごいです。」

「やったですね。いえ~い。」

「ありがとうございます。」

「で、高木さんはどうされますか?」

「というと?」

「いろいろ選択肢はありますよ。私の楽団のテスト受けてみますか?それとも知り合いの事務所を紹介しましょうか?自分でがんばっていくこともできますよ。」

そんなこと言われても、まだどうするかなんて決めてない。楽しく演奏できればとは思うけど。

「私は?私はどうですか?」

「木島さんは、上級コースに来ますか?」

「やっぱ、そんなもんですよね。」

「高木さんが特別なんですよ。」

「ですよねぇ。」


 困ったものだ。自分の生計は、投資でなんとかなっているものだから、サックスは単に好きな道楽に過ぎないと思っていた。でも、この好きなことが仕事になるかも知れないのだ。

「高木さんって、本当にすごいひとなんですね。」

木島さんも今頃言うか。

「でも、そばで聞いていても、なんでそんな音色出せるかって、思うんですよね。」

「すっごく素敵なんですよね。」

おお、初めて木島さんに褒めてもらった気がする。いつも飲みにいくと、自分の愚痴ばっかりだったのに。

「私って、そんな高木さんのそばにいるんですよね。」

「何を今さら。」

「こんなにそばにいながら、私って、高木さんのこと、何も知らないんですよね。」

「まあ、私は聞き役だったからね。」

「いつも愚痴ばっかり、聞かせてばっかり・・・」

「おいおい、どうしたの。いつもと違うよ。」

「本当にごめんなさい。」

あの木島さんが、いやにしおらしい。どうしたんだ?

「いやいや、急にどうしちゃったん?」

「私のこと、嫌いにならないでくださいね。」

「はぁ?何言ってるの?ずっと、一緒にやってきたじゃん。嫌いなわけないよ。」

「本当ですか?ありがとうございます。でも・・・」

「?」

「こんな才能のある高木さんに、私なんか・・・」

「おいおい、どうしちゃったんだ?いつもの木島さんはどこにいったん?」

そう言いながら、私は気づいていた。彼女は私のことが好きなんだと。私もこの子は嫌いじゃない。ていうか、付き合ってもいいとも思っていた。



(つづく)


posted by たけし at 12:00| 兵庫 ☁| Comment(0) | フリーライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする